ライブはセットリストが9割

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最近、ライブをやればやるほど「ライブはセットリストが9割なんじゃないか」と思うようになりました。

もちろん演奏そのものが大切なのは大前提です。

ただ、本番でいきなり謎の覚醒をして、自分の実力が何倍にもなるなんてことは残念ながらほとんどありません。むしろ緊張や疲れ、会場の環境なども含めて考えると、本番で出せるのは自分が本来持っているポテンシャルから少し減ったものだったりします。

だからこそ、その状態でも最大限いいライブができるように、事前にどういう時間を作るのかを考えておく。

その中でも、僕が特に大切だと思っているのがセットリストです。

 

セットリストを侮るなかれ

 

セットリストについて初めて強く意識したのは、サザンオールスターズのライブDVDに付属していたドキュメンタリーを見た時でした。

父親と母親がサザンの大ファンだったこともあって、僕も例に漏れず、小さい頃からたくさん聴いて影響を受けてきました。

そのドキュメンタリーの中で、桑田佳祐さんをはじめ、メンバーやスタッフの皆さんがスタジオに机を置いて、セットリストについて長時間会議をしていたんです。

その時の僕は、

「セットリストって、そんなに時間と労力をかけて作るものなの?」

と思いました。

大の大人が何時間もかけて会議するようなものなの?セットリストって。

当時は、そのくらいにしか思っていませんでした。

でも、その意味をやがて自分のライブで実感することになります。

昔の僕は、本当にプレイヤー気質でした。

音楽は、その場で何を即興で演奏するのかが大切。

そういうことにかなり重きを置いていました。

ライブのセットリストも、当日にパッと紙に書いてみんなに渡すようなこともあったし、流れも「なんとなく最初は静かな曲、最後は盛り上がる曲」くらい。

各曲のソロの順番も、取れる人が取って、適当に回していく。

本当にそんな感じでした。

今思えば、「適当に」という言葉を随分よく使っていたような気がします。

それが変わったのは、60分、90分という長さのライブをやるようになってからです。

ライブの中盤くらいで、すでに自分がものすごく疲れていることに気づきました。

肉体的にも、たくさん弾いて指が痛い。

精神的にも、たくさんソロを弾いてアイデアが枯渇している。

そして最後の方で一番盛り上げたいのに、そこに使う体力や気力が残っていない。

ライブ終盤で盛り上げたいけど、その力が出ない、なんならお客さんも退屈そう…?

そんなギャップに打ちのめされるような瞬間が増えてきました。

もう一つ大きかったのが、Nahoさんからの提案です。

「最後の方になればなるほど、トランペットのソロがたくさん回ってきて疲れてしまう」

と言われました。

トランペットは、そもそも常に体力を使いながら演奏する楽器です。

さらにNahoさんはミュートをつけて演奏することが多いので、通常のトランペットよりもかなり音量が小さい。

一方で、僕たちのバンドは重低音の効いたビートミュージックのサウンドです。

ライブ後半になり、バンド全体の音量も熱量もどんどん上がっていく中で、ミュートトランペットが同じ熱量でアンサンブルに混ざっていくというのは、そもそも構造的にかなり難しい。

だったら、これは演奏力だけで解決する問題ではない。

ソロの順番や、誰がどこで前に出るのか、何をどのタイミングで聴かせるのか。

セットリストそのものを変えれば解決できるんじゃないかと思いました。

 

セットリストは、その日過ごす時間そのもの

 

そして、もう一つ大きな気づきがありました。

それは、プレイヤーとしての自分が感じている手応えと、お客さんがライブから持って帰るものは違うということです。

昔は、各曲のソロが上手くいったかどうか。

ソロが終わった時に拍手が鳴ったか。

歓声が上がったか。

そんなところを競い合うような感覚でライブをしていました。

でも、ライブが終わった後のサイン会でお客さんと話したり、後からダイレクトメッセージで感想をもらったりすると、みんな意外と「あの曲のあのソロが」とは言わないんですよね。

「今日は本当にいい一日でした」

「いい夜になりました」

そんなことを言ってくれる人が多い。

そこで気づきました。

セットリストというのは、ただ曲を並べるものではない。

セットリストは、お客さんがその日、その夜、過ごす時間そのものなんだと。

 

曲には、それぞれ「役割」がある

 

だから今は、1曲目からかなりこだわります。

ライブ会場に来て、最初の音が鳴った時に、

「ああ、これだよ。これが聴きたくて今日ここに来たんだよ」

と思ってもらいたい。

なので最近は、ギターミュージックとしての要素、アンビエント感、ハーモニー、ソロの感じ。そのバランスが自分たちらしい曲を1曲目に置くことが多いです。

そこから2曲目、3曲目まではMCを入れずに続けて演奏することも多い。

そのくらいまではNahoさんがまだトランペットを吹かないこともあります。

4曲目くらいから初めてトランペットが入ったり、Key歌野くんのソロのギアが一段上がったりする。

最初から全部見せるのではなく、少しずつライブの情報量を増やしていくような感覚です。

僕は20歳前後の頃に、少しフュージョン色の強い曲を作っていました。

そういう曲は、今でもライブに1曲くらい入れることがあります。

演奏的にはかなり高負荷です。

だから何曲も入れてしまうと、ライブ全体の演奏負荷が上がりすぎて、僕たち自身がリラックスして演奏できなくなってしまう。

でも、自分がどんなギタリストなのかを表現する上では、大切な曲でもあります。

なので、「自分のルーツを見せる。」そういう役割として入れることがあります。

つまり、一つひとつの曲に「この曲をここで演奏する意味」を持たせるようになりました。

 

「普通はこう」に惑わされない

 

「最後は盛り上がった方がいい」

これはよく言われることですが、半分正解で半分不正解だと思っています。

もちろんライブのどこかで、熱量がマックスまで上がる瞬間はあった方がいい。

だからライブ終盤にドラムソロを入れたり、アンサンブルの密度を上げて、ほとんどカオスみたいな状態まで持っていく瞬間を作ることもあります。

でも、それが絶対に最後である必要はありません。

一度ピークまで上がった後に、最後は落ち着いたサウンドに戻り、余白を残して終わってもいい。

セットリストを考えている時に、

「普通はこうだよね」

とパッと思った時は、僕の中では少し危険信号です。

激しい曲の後はバラード。

最後は盛り上がる曲。

全員の見せ場を最後に作る。

もちろん、それで正解な時もあります。

でも一度、

「本当にそれは自分たちの音楽にとって必要なのか?」

と問い直します。

例えば、激しい曲の後に演奏するバラードには「緩急を生む」という機能があります。

でも、しっとりした静かな曲が何曲か続いた中で、さらにバラードを演奏したらどうでしょう。

今度は「緩急」ではなく、その静かな空間という「コンセプト」そのものを強く打ち出すことができます。

同じ曲でも、前後の流れによって意味が変わるんです。

どんな時間を過ごした後に、その曲が流れてくるのか。

そこまで含めて曲の意味になる。

だからこそ、パッと思いつく一般論に惑わされそうになった時ほど、一度立ち止まって考えることが必要なんだと思います。

 

カバー曲は「共通言語」

 

カバー曲も同じです。

「カバー曲は盛り上がるから1曲入れよう」

僕は、今はそう考えていません。

 

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